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大宮中同窓会

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平成28年度 同窓会総会

平成27年度 同窓会

平成27年度 同窓会総会

総会のご案内

平成27年度

 7月11日(土)
  同窓会総会 午後2時より 視聴覚室にて

大宮中1期生が語る「その時、歴史が動いた」かつて大宮中は女子中だった

2013年7月20日(土) 14:00〜15:00に大宮中同窓会総会企画として、「対談:大宮中一期生が語る『その時、歴史が動いた』〜かつて大宮中は女子中だった!?」が開催された。ゲストには、降旗恵子(ふりはた けいこ)さん、佐藤正三(さとう しょうぞう)さんをお迎えして、大宮中創立当時のお話を伺った。大宮中学校は、昭和22(1947)年の創立である。ゲストのお二人は、大宮小学校を昭和22年3 月に一緒に卒業し、そのまま新しくできた大宮中に入学するはずだったが、財政難により校舎の新設が間に合わないとの理由から、この年度のみ、男子は京王学園(現在の専修大学付属高校)に委託された。このような経緯を含め、小学校時代の話から当時のお話をしていただいた。以下は、その記録である。

●大宮小学校に入学して
司会:まずはこの写真1を見ながらお話したいと思います。場所は大宮小の校庭でお二人がここに写っています。後列右から2番目の大きな子が佐藤正三さん、降旗恵子さんは後列の左から2番目。担任の浜先生もいらっしゃいます。時はお二人が大宮小学校を卒業する直前、昭和21年3月頃でしょうか。

降旗恵子さん:写真2は馬事公苑への遠足の写真ですね。3年生の時に馬事公苑に遠足でいきました。右側にいらっしゃるのは小塚先生ですね。このとき男女別でした。1組は男だけ、3組が女子で2組は男女一緒でした。私が女子クラスでしたので、この写真は3組だと思います。戦争がはじまって私たちは昭和16年度に大宮小学校に入学した世代で、その年の12月に戦争が始まりました。この写真は3年生ですがこの翌年の4年生の時に空襲が激しくなって集団疎開が始まったのです。

佐藤正三さん:こっちの写真3は1年生の時ですね。この時は降旗恵子さんと一緒のクラスでしたね。1年1組で二人とも体が大きかったので隣どうしの席で机を並べていましたね。私はあまり勉強しなかったけど降旗さんは勉強ができたのでしょっちゅう教えてもらっていました。(笑)
この写真3はたぶん世田谷の松陰神社ですかね。あまり覚えていないなあ。ここにいる先生は並木先生。後に桃井第三小の校長先生になられた方ですね。

佐藤正三さん:それで小学校4年生になったのが昭和19年なのですが、その時に連合艦隊司令長官の山本五十六長官が戦死して、その国葬に甲州街道をオープンカーで多磨墓地にいったのです。その時に今の明大前駅のあたりまでゴザを敷いて見にいきました。

●集団疎開の話
降旗恵子さん:昭和19年の8月頃に集団疎開が始まりました。空襲が次第に激しくなり子どもが都会にいると危ないので農村に避難させるという施策でした。疎開には集団疎開と縁故疎開(親戚や知り合いのところにいく)がありました。自由参加でしたが、私は8月下旬に上野から大きな荷物を背負って集団疎開に参加しました。東京に残る子もいたので次第にバラバラになっていってしまったのです。大宮小の集団疎開は長野県小諸市周辺の3か所にわかれて行われました。私は小諸市の公会堂にいきました。ここが本部でした。ここと岩村田のしょうごいん(小諸から小海線でいった岩村田から左にいったところ)、それと小諸市の成就寺でした。

佐藤正三さん:私たちは第二次の疎開でした。私は小諸から小海線でいった岩村田から右にいった千曲川のほとりの「しょうえんじ」という所でした。いつ疎開にいったのははっきり覚えていないのですが、永福町のあたりに昭和20年5月に空襲があったのですね。それで疎開から帰ってきたら永福町の駅からうちのお店(サトウ文具店)が見えるので、大園寺の山も焼夷弾でみんな低くなってしまって「あれ、これは違うところに帰ってきてしまったのか?」と思いました。私は、疎開先で脱走ばかりして先生に手間ばかりかけていたので、「戦争が終わったからもう戻ってよい」と言われて親に迎えにきてもらって、みんなより少し昭和20年の秋に早く戻ってきました。

降旗恵子さん:私は疎開先で栄養失調になってしまってたまたま長野県に親戚がいたので、昭和20年の7月にさらに親戚の家に写りました。それで5年生の終わり(昭和21年春)にやっと東京に戻ってきました。もう実家も焼けてしまってバラックの家しかなかったのですがそこに戻ってきました。それで昭和21年の4月から大宮小6年に復帰したのです。


●疎開先からの「脱走」
佐藤正三さん:私は早く帰りたくて疎開先から3回も脱走したのです。それで最後は、お寺の裏の納骨堂に閉じ込められてしまいました。当時は、土葬でしたから、6月の入梅時期になると夜になると燐が燃えて墓石の隙間からガスが出てきて青白く光るのですね。あればさびしかったなあ。(笑)脱走は10人くらい仲間を集めるのですがいざ決行となると、一人抜け、二人抜け、最後まで残ってくれたのは今でも忘れもしない小川造園の社長の小川さん。だから、あの人はいい人だなあと思いましたよ。(笑)

司会:「脱走」というのはそもそも何のため?

降旗恵子さん:うちに帰りたいわけですよ。

佐藤正三さん:食べるものがないのですよ。ご飯の量も少ないし、お米もなくて豆ばかりだしね。おなか減るし、それで家に帰りたいと思うわけです。もちろんそんな簡単にはいかなのですが、なかには成功した人もいました。それは女の子で、その人は横川の駅までいったらそこで東京へ帰る会社員の人がいて、その人が連れて行ってくれる人がいたのですね。その話を聞いて「女子でも脱走できるのだから俺たちだってできる」って思ったのです。結局はうまくいきませんでした。

降旗恵子さん:私たちのいた公会堂組は信越線の線路沿いでした。それで、「この線路にそって歩いていけばかならず帰れる」って信じて何人かが帰ろうとしましたが全員、途中で見つかって連れ戻されました。それでさんざん怒られてね。

佐藤正三さん:私も怒られたなあ。納骨堂に入れられたときは悔しいから夜にこっそり起きてお寺の本堂で木魚をたたいてみんなを驚かしたりしてね。それでまた怒られて。(笑)

司会:疎開先での一日に過ごし方というのは?

佐藤正三さん:午前中は地元の学校にいって、午後は農家で桑の皮むき。これは干して軍服の素材になるのですね。それをするとおむすびを一個くれるので、それが欲しくてね。

降旗恵子さん:私の方は女学校の空き教室で何かをやった覚えがあります。山の中腹にある女学校なので行くのに30分から40分かかるので、普通の授業はなかったですね。そろばんはやった覚えがあります。大きな公会堂に長いこたつを作るのですが、みなで薪ひろいをしましたね。それと、開墾地のそば畑の草取りをしたり、石ひろいをしました。4年生はほとんど勉強せずに遊んでいたと思います。男の子はあんずやリンゴを盗んでその農家の方が公会堂に乗り込んできて一人ずつ並ばされてやはり怒られていました。私たち女子はそこまでできなかったので、町の人が川で野菜を洗っているところにいって、私たちが物欲しそうに見ていたらサツマイモのしっぽのところをおってわけてもらって、その甘い汁を吸っていたりしました。それとお風呂屋さんにいくことがあった関係でみんなお金が少しもっていたのですね。薬屋さんにいって「ワカモト」や「ビオフェルミン」を買って、それを舐めて何瓶もカラにしたのを覚えています。また、お手玉の中に豆類を入れて実家から送ってもらい、空き缶の中にいれて炬燵や焚き火の中にいれて炒って食べていたりもしました。「おばちゃん、何か食べるものちょうだい」といって農家にいってお餅をもらって道端でかじったこともあります。男の子たちは大豆の入ったご飯をわざと押しつぶして小さくして、そこにお箸をたてて、「一善飯とは情けなや」とかいう歌を歌っていたら見つかって、このときも「兵隊さんのことを考えろ」といって朝から叱られたのを覚えています。何しろ食べるものがなくてひもじかったです。

佐藤正三さん:私は、疎開先のお寺の庭に給食をする所があって、大きなお釜のおこげが出るのですね。それを夜にこっそりいって、お寺の本堂の下に隠していて、お寺の本堂の床下って子どもなら悠々歩けるのです。そこに、おこげやらワカモトやら色々なものを隠しておいて、脱走のための食糧として格納しておいたのですね。それで「碓井峠までいけばしめたものだ」と思っていました。お寺の横に「なかさんどう(中山道とは違う八ヶ岳の方にいく道)」があって、これをまっすぐいけば中山道(現在の国道18号線)に出て、それを右にいけば軽井沢、その先が碓井峠だということは知っていましたから。でも、結局そこに行くまでに見つかってしまい成功しませんでしたが。(笑)

●終戦直後の大宮小の授業は「スミ塗り」から
佐藤正三さん:私は終戦の年(昭和20年)の秋にみんなより少し先に東京に戻って大宮小に再び通いはじめました。その頃、大宮小にいたのは農家の子どもなどほんの少数でした。人数が少ないので、1つの教室の中に各学年が1列になって、1年から6年まで稲葉先生という女の先生が一人で全員を器用に教えていました。

降旗恵子さん:私が戻ってきた昭和21年4月からはもう多くの友達が戻ってきて各学年がそれぞれのクラスになっていました。戦争が終わったことで教育の内容も変わりました。教科書は、この時期は新聞紙(タブロイド)判のわら半紙を折ったものが配られました。それを、はさみで切って、教科書を作りました。それで覚えているのはスミ塗りです。担任だった浜先生のご指示で筆と墨(スミ)を持ってきて、国語や歴史や地理の教科書の戦争に関係したところを全部、黒く塗りつぶしました。小学校の時は「社会科」ってなかったのですが、中学校にいったら「社会科」がはじまりました。

佐藤正三さん:私が覚えているのが当時の勉強机のことです。当時は、学校の机は二人で一つでした。一人では持てないのです。それでカンニングができないように自分のカバンをその中に入れてふたをしめるのですね。私の隣が降旗さんで、先生にさされるとよく降旗さんが教えてくれました。

●大宮小を卒業、そして新制の中学へ
降旗恵子さん: 小学校を卒業したとき、私たちは当然、男子も大宮中に来ると思っていたのですね。その頃、大宮中は校舎がなかったので、3月に大宮小を卒業したのですが4月になっても結局、大宮小に通って、そこで小学校の教室を2つ借りてそこで中学の授業を受けました。でもそこに男子がいなかったのです。

佐藤正三さん:あの頃、現在の6・3・3制の法律が決まって、それからでしたので、各学校ともに校舎の建設が間に合わなかったのですね。それで私たちは京王商業という私立学校に杉並区が大宮小の男子卒業生の受け入れを委託したのです。月謝は払わなかったです。その頃は、私立学校も経営難だったのでそれで受け入れたのだと思います。その学校が専修大学付属になったのはそのだいぶ後のことです。

降旗恵子さん:大宮中は、大宮小の2つの教室と、以前に大宮小にあった「青年学校」の部屋を教員室として使用していました。先生の数も少なくて10人くらいでした。理科の先生と英語の先生が同じ方だったりと、一人の先生が二教科くらい教えていました。それで行事があるときは大宮小の古い講堂があってそこでやりました。破れガラスのひどい状態でした。その年は1年間、大宮小に間借りして、その間に大宮中の校舎の建設準備が始まりました。当時は知らなかったのですが大宮中の50周年座談会に出たときに当時の教頭だった岩崎先生にお話しをうかがう機会があり、そのいきさつを聞きました。現在の大宮中の土地は下町の方が地主で何度もお願いにいって、やっと売ってもらったり、材木は秋田の方から調達したりと大変だったようです。

降旗恵子さん:この写真4は現在の済美小のあたりから見た写真ですね。当時の写真がこれですがこの校庭に大きな松の木があってこれにロープをかけてターザンごっこをしたのを覚えています。新校舎が完成して、大宮小から自分の椅子をもって引っ越したのが中学2年の秋でお祝いをしたのが12月でした。その時にはもう1年生もいて、1年生は男子もいました。石をひろったり草をむしったりいろんな作業をしました。二階の4教室は全部ぶち抜きになっていて行事の時は、仕切りをとって二階全部を使ってやりました。

佐藤正三さん:この校舎の裏に戦前にあった女学校の旧校舎が残っていて「お化け屋敷」といっていました。(笑) 私は、そのようなわけで大宮中には入学せず。京王商業に入学してそのまま卒業しました。私たちの代だけが全員が杉並区からの委託で、次の年からは通常の私学としての生徒募集をしていました。同じようなことが立正女学校の男子部でもあってその頃は「堀ノ内中学」と称していました。

司会:そのようなことで、大宮中の一期生の時だけ大宮中は「女子中」だったのですね。降旗恵子さんには「女子中」時代の大宮中の写真をご持参いただきました。遠足や学芸会の様子、確かに女子中ですね。

降旗恵子さん:この写真7は、最初の年、希望者だけでしたけど当時できたばかりの大宮中PTAで夏休みに子どもたちを楽しませたいとキャンプをやりました。その時の写真です。

司会:お話は尽きないと思いますが、そろそろお約束の時間になりました。本日はありがとうございました。

●お礼の言葉

お礼の言葉1(大野さん):私は大宮中60周年記念の時にPTA会長をしていました。その時に、偶然、大宮中がかつて女子中だったことを知ったのですが、どうしてそうだったのかということまではわかりませんでした。それが今日のお話でわかってとてもよかったです。ありがとうございました。

お礼の言葉2(山本さん):私は大宮中卒業生ではなく息子が卒業生なのですが、一期生のお話をうかがう機会がなく、今日はじめてお話をうかがわせていただきました。できましたら子どもたちにもこうした機会をいただけるとありがたいと思いました。本日は貴重なお話をいただき本当にありがとうございました。

総会を開催しました

 平成25年7月29日

 
 我々の母校大宮中学校は昭和22年(1946年)に創立されて今年で67年目となります。その間同窓会は昭和62年(1987年)に立ちあがり、同窓会会員は1万人を超えるまでになりました。
 平成19年(2007年)10月に総会にて、現役員が選出されましたが、太田廣一会長が急逝されて会長が空席のまま現在に至っております。母校の創立70周年を控え、新体制で再スタートすべきと考え、下記の通り同窓会総会を開催させていただきたいと思います。ご多忙とは存じますが、万障お繰り合わせのうえ、ご出席いただきますようお願い申し上げます。
 
              記

1.日 時 2013年7月20日(土)14:00〜

2.場 所 大宮中学校視聴覚室

3.議 題

(1)同窓会会則の改正について
(2)新役員について

特別企画あります

対談 大宮中1期生が語る「その時、歴史が動いた」かつて大宮中は女子中だった


同窓会会則

杉並区立大宮中学校同窓会々則  2013年7月20日

本会は東京都杉並区立大宮中学校同窓会と称し、その事務局を校内に置く。

第1条 本会は会員の総意の下に責任ある行動と協力によって、会員の親睦を図り、母校の発展に寄与することを目的とする。
第2条 本会は前条の目的達成のため下記事業を行なう。
第3条
1.会員の親睦に関する事業
2.母校の発展に寄与する事業
3.その他必要な事業
本会は下記の者で構成する
第4条
1.会員 本校の卒業生及び本校に在学した者
2.名誉会員 本校の教職員及び旧教職員 
3.特別会員 本校の発展に寄与し会長が推薦した者 
本会は下記の役員を置き、役員会を構成する。
第5条
1.名誉会長 1名 杉並区立大宮中学校長
2.会長   1名 役員会で選出され、総会で承認された者
3.副会長 若干名 会長により指名を受けた者
4.顧問   若干名 会長により委嘱を受けた者
5.総務  若干名 会長により指名を受けた者
6.監事   若干名 会長により委嘱を受けた者
役員の職務権限は下記の通りとする。
第6条 
1.会長 本会を代表し、総会、役員会を総括する。
2.副会長 会長を補佐し、必要なときはこれを代行する。
3.顧問 本会の運営の諸般につき会長の諮問に応える
4.総務 「会計」「広報」、「庶務」、「書記」をもって構成され、その任にあたる。
5.監事 本会の財産の状況及び本会の業務執行の状況を監査する
役員の任期は2年とする。ただし再任を妨げない。
第7条 本会に役員会を置き日常業務を執行する。
第8条 役員会は会長、副会長、顧問、総務、監事をもって構成され、会長が招集し開催する。総会は毎年1回年度終了後3カ月以内に会長が招集する。
第9条 会長は必要に応じて臨時総会を招集する。総会の議長は会長が当たり、多数決をもって決議する。
第10条 本会の経費は会員の納める会費及び寄付金をこれにあて、臨時予算の必要が生じた場合は
第11条 役員会の決議により徴収し総会に報告する。本会の会計年度は毎年4月1日より翌年の3月31日とする。
第12条 会員は入会時に下記の終身会費を納めることとする。但し在校生は卒業時に納めることとする。
第13条
1.第1期〜第15期卒業生  2,000円
2.第16期以降卒業生    1,000円
3.納入された会費は返還されないこととする。
この会則の変更は、総会出席者(委任状出席を含む)の多数決で決議する。

第14条 会長は役員会の決議をもって、本会則を運営するために必要な内規を定めることができる。
第15条 「附則」
本会則は、昭和62年11月8日をもって施行する。
本会則(改正)は、平成25年7月20日をもって施行する。

同窓会組織

大宮中学校同窓会組織 2013年7月20日


1.会長 本橋正敏(22期)
2.副会長 降旗信一(28期)
末柄哲男(22期)
吉田政彦(10期)
中村茂男(13期)
3.顧問 桜井義晉(5期)
玉村彰孝(7期)
4.総務 関仁志(13期)
大野弘美(29期)
山本真由美(特別会員)
岡野陽子(35期)
5.監事 毛塚尚明(28期)
清水光治(14期)
高橋順子(10期)

大宮中学校と同窓会について


大宮中学校同窓会の皆様

 母校大宮中学校と同窓会の現状につきましてご報告させていただきます。我々の母校大宮中学校では今年の4月に66回目の入学式が挙行されました。その新入生ですが、今年は35名(何と1学年で)という結果でした。少子化と学校選択制度の狭間で汲々としているのが現状です。1学年40名以下が2年続きますと統廃合の対象校という特別ポストに入ってしまいます。一方では学校選択制度を廃止して、自動的に地元の学校へ振り分けられる制度に回帰しようとする動きもありますが、まだ具体化していません。近隣住民、父兄、保護者、先生方も大宮小学校、済美小学校とのタイアップ、授業参観、小中一貫校の検討等々いろいろやっていただいていますが、即効薬とはなっていません。皆様のお身内に、ご近所に、来年中学生になる適齢の方がいらっしゃいましたら、大宮中への進学(大宮中を選択)をお勧めいただきたく、よろしくお願い申し上げます。
 同窓会につきましては、平成19年10月に開催されました総会にて選出された太田廣一会長が23年2月に急逝されて以来、会長空席のままになっており、残った役員で何とかしなくてはと模索してはおりますが、有効な手立てが見つからないまま現在に至っている次第です。ここで皆様のご理解とご協力をいただき、同窓会ネットワークの再構築をしたうえで、同窓会として大宮中学校存続に少しでも役に立てればと考えている次第でございます。併せて、ネットワークの再構築のために、皆様の同期の名簿を同窓会にご提供いただければ大変助かります。
ご理解とご協力を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。

平成24年12月

責任者 吉田 政彦(10期)〒168−0064 杉並区永福4−26−19
TEL(FAX) 03−3322−1091 

現在同窓会では各期からの情報をお待ちしています

 
 同窓会組織の再構築を目指しています。各期からの情報をお待ちしております。連絡につきましては学校までお願いいたします。電話、fax、校長あてのメールでもOKです。よろしくお願いいたします。
 
大宮中 tel 3313-2161 fax 3313-9672
校長メール hasimoto-tuyosi@city.suginami.lg.jp

 現在少しずつではありますが、同窓生のみなさまからご連絡が入り始めました。ありがうございます。現在の役員さんにお伝えします。

OB・OG合唱団

 1期から10期の同窓生を中心に編成されている合唱団です。毎年、母校の音楽発表会に出演していただいています。