「福は内、鬼は外」を考える

 立春の前日は節分で、様々な習わしが全国で行われています。本校では、2/2(金)の給食に、大豆を使用した「せつぶんご飯」が献立に入りました。表題にもある「鬼は外、福は内」という豆まきに付きもののフレーズですが、全国にはいろんな解釈があるようです。

 浅草の浅草寺や成田山新勝寺では、「鬼は外」とは言わず、「福は内」のみです。「ご本尊の前では鬼でさえも改心する」「ご本尊に鬼は入れない」などが理由だそうです。奈良県の金峯山寺では、「福は内、鬼も内」と唱え、全国から追われた鬼を招き入れ、改心させるようです。また、秋田のなまはげのように、福をもたらす来訪神としてもてなす地域があることは有名だと思います。

 「福と鬼」は必ずしも「善と悪」という分け方ではなく、本来は一つのもの(あるいは人の心)に「神のようなもの」と「鬼、悪魔のようなもの」という2つの性質を持ち合わせていると考えるのが適切なのだろうと思います。これも多様的なものの見方の一つなのかもしれません。「鬼は外」と豆をまくときは、「悪」と決めつけている鬼を払うのではなく、自分の心の中にある「邪心、よくない思い」を払う意味でした方がよいのかもしれません。

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