今ここでもう一度「いじめ」を考えたい⑨

「法令上のいじめ」というワードをこれまでもこのサイトで多用してまいりました。「好意」であっても、「意図しない行為」であっても、「つい衝動的」であっても、これは(法令上では)いじめ行為に相当することを児童に理解させるには、学校生活の中できちんと説明していく必要があります。順番を抜かされて辛い思いをしたり、告白した相手に拒絶され悲しい思いをしたりするケースも、「いじめ」であることに戸惑う児童も当然おり、周知や真の理解にはそれ相応の時間も必要です。当然、学校はこの時間を捻出しなければなりません。

 

この「いじめ防止対策推進法」はある県で起きた中学生の自死がきっかけとされています。また、総務省の調査で、被害の状況がより重い「重大事態」を調べると、78%はもともと些細なことと思われやすい「からかい、冷やかし」が原因になっているという報告もあり、被害者を救うためにさまざまな法整備や新解釈の周知が行われてきている背景があります。網の目を小さくすることで初期の段階から適正な対処ができるようになったと同時に、いじめの範囲が極端に広がったことへの戸惑いも児童や保護者にはあるのだと思います。

 

教師(大人)側の指導、伝達はこれまでも行ってきましたが、子どもたち自身が「いじめ」「人がされて言われて嫌なこと」「人権とは」「対処法」について主体的に考える時間の設定については、まだまだ不十分ではないかと考えます。加害の経験も被害の経験も併せもつ児童はたくさんいます。子どもたちが考える「当事者教育」は、相手の気持ちや思いに寄り添うため、これから大事な取組になってくるような気がします。

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