プライベートな話です。
最近、高校生の娘が、台所に立つ姿をよく見かけるようになりました。母親の料理のアシスタントとして、皮むきや包丁を握り、時には味付けまで手伝います。さらには、食器の片付けまでしてくれるようになりました。
かつて、ほとんど台所の手伝いをしてこなかった娘。どこにどの食器がしまわれているか、どの料理道具がどこにあるかをまだ把握していません。
ある日、小さなフライパンの片付け場所がわからず、適当な棚にしまってしまい、料理中の妻に注意されてしょぼんとしていました。
ちなみに私はというと、家では「洗濯大臣」兼「後片付け大臣」。洗濯して、干して、畳むのは私の仕事です。台所が散らかっていれば、手が空いたときに片付けることもあります。
そんなある晩のこと。娘がふと、
「そういえば、小さな泡立て器、こんなところに入ってたよ。誰が片付けたんだろうねえ」
と一言。母親と目を合わせながらの発言でした。
実はそれ、私が以前の場所とは違うところにしまっていたものでした。どうやら娘は、私の「犯行」に気づいていたようです。
この出来事を通して、あらためて感じたことがあります。
子どもは、経験を通して学び、そして自分の言動を「更新」していく存在だということです。
時には、自分がされたことをそのまま誰かにしてみたり、言われたことをまねして使ってみたり。けれども、それは永遠に続くわけではありません。
別の経験をしたときに、「あ、こっちの方がいいな」と思えば、子どもは柔軟に変わっていきます。
こうした経験の積み重ねが、少しずつ「自分らしい生き方」や「ふさわしい言動」として形作られていくのだと思います。
以前、こんなご相談を受けたことがあります。
「小学生になってから、汚い言葉を使い始めて心配です」
確かに、そう感じる場面はあるかもしれません。でも、子どもたちは新しい集団に入ったときに、そこで出会った刺激的な言葉に反応し、試しに使ってみるものです。
まるで外国語のスラングを覚えるように、「これは使えるのか?」と実験してみるのです。
子どもたちは、言葉を使ってみて、周囲の反応を見て、それを学んでいきます。
だからこそ、私たち大人がどんな反応をするかはとても大切です。
✨子どもの試行錯誤に対して、私たち大人ができること
まずはすぐに否定せず、状況を受け止めること。
「なぜこの言葉を使ったのかな?」「どこで覚えたのかな?」と、子どもに問いかけてみると、意外な学びの背景が見えてきます。
そして、「その言葉を使うと、こういう気持ちになる人がいるよ」と伝えてみること。
ただの禁止や指摘だけではなく、「伝わり方」や「影響」を一緒に考える姿勢が、子どもにとっては大きなヒントになります。
最後に、私たち自身も“更新”し続ける姿を見せること。
完璧でなくていいのです。「失敗しながらでも学んでいる」大人の背中を見せることが、何よりの教育になるのではないでしょうか。
子どもたちは、家庭や学校、友だちとの関わりの中で、日々、学び、悩み、試して、成長しています。
その一歩一歩を、共に見守り、共に歩んでいけるような関係を、これからも築いていけたらと思っています。

