「『いない』のではなく、『見えていない』だけ」

杉並区主催の研修会、「LGBTQは、『いない』のではなく、『見えていない』だけ」に参加させていただきました。かなり身近な言葉となってきてはいますが、まだまだ理解が進んでいないLGBTQ、そしてSOGI。研修会(講演会)の詳しい内容についてはここでは割愛しますが、「パートナー」「トランスジェンダー」の用語の本来の使い方や、理解のなさ、制度や仕組みの不十分さにより、生活のしづらさを感じながら日々過ごされている方々についてのお話がありました。学校でも、「障害者」や「子供」「外国人」など15項目ある人権教育の指導内容の中に、「性自認」「性的指向」があり、道徳や学級活動等で扱うこともあります。

本稿タイトルの、「『いない』のではなく、『見えていないだけ』」は、学校教育内では、「教員の心得」として多用する言葉です。現在「ふれあい月間」で取り組んでいるいじめ(防止)についても、児童の学級内での問題行動等についても、教員は、「自分の教室(学校)には、いじめや問題行動はない、と言い切るのではなく、単に『見えていない』だけ。もっと注意深く広い視野で児童一人ひとりを見ていこう」と、事案を見逃さないための戒めとして、どの教員も心に刻んでいる言葉です。

学年末ですが、忙しさは理由になりません。児童の「大丈夫」の言葉に安心することなく、「見えていないだけ」という視点をいつももち続けたいです。

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